柏7地域〜・増尾・名戸ヶ谷


・007☆宮根遺跡(みやねいせき)増尾895他広幡八幡宮
柏市指定文化財
 東側に大津川の水田地帯が広がる標高20mの舌状台地上にある遺跡で、昭和28年(1953)12月以降、数度にわたり広幡八幡宮の敷地の一部で発掘調査が行われました。ここからは縄文時代後期・晩期から古墳時代にかけての住居跡などが発見されています。
(公報)
・008☆浦安の舞(うらやすのまい)増尾895広幡八幡宮
 毎年元旦に行われる行事で、増尾の広幡八幡宮の境内で催されます。この広幡八幡宮は、今から1100年程前に宇多うだ天皇勅願所ちょくがんじょ(天皇の祈願所)として祭られたと言われています。古くから”神楽舞”が伝わっていましたが、大正の末に伝承する人がいなくなりました。その後、宮司の努力により昭和30年代に平和と安全を祈願する”浦安の舞”が始められました。(公報)

・701☆広幡八幡宮宗社・増尾895

 一, 御祭神  誉田別命ほんだわけのみこと気長足姫命おさながたらひめのみこと玉依姫命たまよりひめのみこと
 一, 沿革    社伝に曰く「下総国第一鎮守、宇多天皇勅願所」なりと
         後鎌倉時代建久四年に至り「柏市近郷一帯の総鎮守」として再び社殿を興し、広幡八幡宮宗社とした。 徳川将軍家光公神徳を欽仰して、慶安二年巳丑八月、ご朱印高拾石を奉献し、宝暦七年伯州刺史藤原正珍公は、石華表(鳥居)一基を寄進されました。(下総旧事考)
 猶、世々の増尾城領主は尊敬厚く例大祭には弊物をもって参拝した。(東葛飾郡誌)
一, 祭典    例祭 十月十五、十六日
          春まつり 四月中旬
          外に年間十数回の主要な祭典が斎行される
一, 御神徳  「家内安全、厄払、災難除の神として、神徳顕著で、広く衆庶の信仰をあつめています
<昭和五十五年三月<柏市教育委員会<柏市文化財保護委員会  


・009☆南増尾の百庚申 増尾台二丁目
 現在、県道沿いに並ぶ庚申搭は、青面金剛しょうめんこんごうを供養して講中の厄除けをするために、天保7年(1836)前後に建てられたものです。その後、昭和19年(1944)まで21体が破損したので村中の寄附により再建されました。(公報)


・010☆増尾城址 増尾650・増尾城址公園
 大津川の支流に面した台地上に築かれた中世城跡で、城主は千葉氏の流れをくむ相馬氏といわれています。現在でも高い土塁と深い堀が残り、当時の様子をよくとどめています。城址は現在、公園として整備されています。(公報)
増尾城址総合公園
 鎌倉時代から戦国時代にかけて築かれた城山の跡地です。約5.1ヘクタールもある敷地はまるで森のよう。昼間でもうっそうと茂る木々のために薄暗い感じがします。ここは、紅葉を楽しむというよりも、サクサクっとたくさんの落ち葉を踏みしめてみるのも面白そう。
 芝生広場には、バーベキューを楽しめるサイトがあります。家族連れや気の合う仲間で食欲の満たすのもいいですね。バーベキューサイトは利用1ケ付き前からの予約制です。
(公園緑政課=市役所第一庁舎四階へ、土・日・祝に申し込む場合は現地管理事務所)


・011☆藤心陣屋跡(ふじごころじんやあと) ・藤心
 江戸時代、増尾・藤心・逆井などの市内の14ケ村が本多候の支配地で代々年貢の減免などによる善政を行っていたと伝えられます。藤心代官所は元和げんな4年(1618)に建てられ、250年にわたる領地の差配さはい(地主にかわって土地を管理すること)をしてきましたが、明治2年(1869)に建物が取り払われました。現在陣屋の門は、逆井にある観音寺の山門として、移築・保存されています。(公報)

・012−2★領主 本多候
 大阪夏・冬の陣で戦功のあった本多正重まさしげ(本多俊正の四男)は、徳川家康から42ケ村・約1万石の知行地ちぎょうち(支配権を与えられた土地)を拝領し元和4年(1618)に現在の船戸天満宮と藤心に代官所を置き、14ケ村を支配しました。(公報)


・014☆法林寺の大イチョウ ・名戸ヶ谷
柏市指定文化財
 南北朝時代、法林寺に托鉢途中の一人の比丘尼びくに(尼僧)が訪れ、一夜の宿を求めました。寺では、一室を与えて手厚くもてなしました。翌朝、比丘尼がお礼として大切にしていたイチョウの実を渡し、寺にまくように言って立ち去ったといいます。それが今の大イチョウといわれています。


・015☆木造阿弥陀如来像 ・増尾四丁目萬福寺
千葉県指定文化財
 阿弥陀如来は、極楽を願う人々を導く仏様で、やさしい表情やよく整えられた姿には平安時代後期の特色が見られます。その材質や素朴さの残る作風から、この地方での作と思われます。像高:88.1cm。真言宗豊山派に属する萬福寺まんぷくじの阿弥陀堂に安置されています。